悪人(日本維新の会)が悪人(総理)を糾弾する姿に違和感

日本維新の会の阿部司総務会長が、昨日の柳ヶ瀬裕文参議院議員の国会質問(↓)を引用し、政治活動とは「政治上の目的をもって行われるいっさいの活動」だから、石破総理による会食も商品券配布も「政治活動」だと指摘しています。

その通りです。

少し補足すると、政治目的活動のうち「組織的継続的」な活動が(政治資金規正法が定義する)「政治活動」なので、その点も含めて議論する必要があります。

もちろん、石破総理のケースが「政治活動」に当たることに変わりはありません。

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問題は、日本維新の会は、そんなに偉そうに言えるのか?です。

悪人(日本維新の会)が悪人(総理)を糾弾する姿に、わたしは違和感しかありません。

例えば、"政治活動"に使っている旧文通費について(私以外の)維新国会議員は収支報告書に載せていませんが、不記載の罪にならないのでしょうか。

例えば、馬場伸幸前代表はじめ党幹部たちの会食や贈答は、批判されないのでしょうか。

例えば、国政選挙における松井一郎代表(当時)の高級ワイン(政策活動費)は批判されないのでしょうか。

例えば、吉村洋文代表が決定した一人5,000円ルールがペンディングされていますが、一体どうなったのでしょうか。

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要するに、今回の商品券贈答問題は、石破茂総理を叩いて終わりにできるほど簡単な問題ではない、というのが、私の見立てです。

もちろん、石破総理の行為はアホだし批判されて当然ですが、同じような慣行は日本維新の会の中にも歴然とあったわけで、ここは合わせて一網打尽にすべきと考えます。

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阿部 司
昨年我が党が発表した「維新版・政治改革大綱」の冒頭で述べたように、「自民党ではもはや政治改革を完遂することは不可能である」との認識のもと、維新は「政治とカネ」の問題を単なる不正の摘発にとどめず、政界全体の金権体質を改革し、政治資金の透明性を徹底することを掲げてきました。その立場から見ても、石破総理の商品券配布は看過できるものではありません。総理は「政治活動ではない」と強弁し、政治資金規正法違反ではないと主張しています。しかし、柳ヶ瀬議員が予算委員会で指摘したように、政治活動とは「政治上の目的をもって行われるいっさいの活動から、選挙運動にわたる行為を除いたもの」です。総理が自民党の新人議員を総理公邸に招き、会食の直前に商品券を配布した行為が「政治活動ではない」とする解釈には無理があります。さらに、こうした行為を「政治活動ではない」と言い張ることで、政治資金規正法違反の指摘を回避しようとする姿勢自体が、政治資金の透明性を求める法の趣旨に反しています。総理は「違法ではない」と繰り返しますが、そもそも「政治活動にあたらない」とする自己判断が正当かどうかこそが問われるべき問題です。本来説明すべき論点を避け続け、疑念を払拭しようとしない姿勢は、説明責任を果たしているとは言えません。また、この問題は政治の公正性・透明性の欠如という観点でも重大です。例えば、企業の社長が新任役員に多額の金銭を渡せば、経営の公正性やガバナンスの問題として問われるでしょう。同様に、総理が新人議員に商品券を渡したことは、党運営や国会活動の公正性を損ないかねません。こうした行為が常態化すれば、政治の透明性が失われ、既得権構造が温存されるだけです。維新は、合理的な議論と透明なプロセスを重視する政治を目指します。さらに、この問題は政治倫理の観点からも看過できません。政治家としての倫理観が問われる行為であり、「私費だから問題ない」「(旧安倍派の)収支報告書への不記載の問題とは次元が違う話」とする発想自体が、政治の信頼を損ねています。政治とカネの問題に厳しい姿勢を示してきたはずの総理が、自らこのような行為を行ったことは極めて矛盾しています。違法性の問題、説明責任の回避、政治の公正性・透明性の欠如、そして政治倫理の欠落――どの観点から見ても、総理の対応は許されるものではありません。総理は逃げずに、国民が納得できる形で明確に責任を示すべきです。

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(アーカイブ:2025.03.15)