ジジェク「自分の生き方を肯定することが、人種差別に抵抗する最善策だ」

「日本の左派」をどう思うか聞いてみたら ジジェク「自分の生き方を肯定することが、人種差別に抵抗する最善策だ」

1968年以前は、左派も愛国主義的であることを恥じませんでした。たとえば、1950年代のフランス共産党は超愛国主義的で、NATOや米国から距離をとり、フランスのさらなる自立を目指したド・ゴールを支持したのです。

しかし、ポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)やwokeカルチャー(社会的な不公正や差別などに対する高い意識)の盛り上がりに伴い、愛国主義はいまやほとんど禁忌の話題となっています。

以前、こういう皮肉を考えたんですよ。「左派はある種のカルチャーを支持してもよい。ただし、そのカルチャーが自分自身から充分に離れたものである限り」というね。

皮肉を込めて、「左派の米国人が応援してよいもの」のリストを作ったこともあります。ネイティブアメリカンのことは応援してよいでしょう。黒人、ゲイ、これもよいでしょう。ただ、このあたりから難しくなってきます。ヒスパニックやメキシコ人はまだ大丈夫。とはいえ、もう怪しくなってきます。

というのも、これは左派にとって大きな衝撃だったと思いますし、極めて重要な認識でもあるのですが、移民については右派のほうがずっと賢かったということに、左派も気づいたわけですね。

つまり、左派はこれまで、移民というのは貧しいが、革命のための力を備えているものだと考えてきました。違うんです! 米国にやってくる移民たちは、皆いまでもアメリカンドリームを信じていますし、それに参加したいと思っているんです。彼らこそが、米国で最も保守的な集団かもしれないのです。だからこそ、移民たちの多くがトランプに投票したわけです。

これを言えばとんでもない話に聞こえるでしょうし、多くの左派にも嫌われるでしょうが、ロシアの脅威やウクライナ戦争を目の当たりにした我々ヨーロッパ人は、恥を捨てて愛国心を再発見せねばならないのです。私が言っているのは、あくまでも汎ヨーロッパ主義的な愛国心ですよ。トランプとプーチンが共通して恐れているのは、連帯したヨーロッパなのですから。

すべての左派を受容するような、先進的な愛国心の再発明が必要です。白人でプロテスタントの米国人が自分自身の生き方を称揚するとなると、もう「あなたは実質的にファシストだ」ということになってしまう。いけません! どんな民族集団であろうと、誇りを持って自分たちに固有の生き方を肯定することが、人種差別に対する最も有効な抵抗であると私は思います。

なぜならそれは、各集団が自分たち自身を固有の生のあり方として認識することだからです。「私は自分自身の生き方をしたい」と言うのは、「私は他にも生き方があることをよく理解している」と言うのと同じなのです。

これは気をつけねばならないのですが、愛国主義に反対する左派リベラルは、密かに「普遍的立場」を取ろうとしているのです。彼らは裁判官のようにふるまい、他者を批判し、矯正し、「あなたたちが本当にすべきことはこれだ」と命令するのです。特定の立場を取らないことで、普遍的な存在になれるわけです。

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(アーカイブ:2025.03.17)