なぜ批判者らは、文脈を理解しようとしないのか

私の「政策論と運動論とは分けた方がいい」発言が蒸し返されていますが、なぜ批判者らは、文脈を理解しようとしないのかな。

経緯は以下の通り。

藤田幹事長 〈フロー大減税+ベーシックインカム〉を選挙公約にしたい

足立康史政調会長 ベーシックインカムは百兆円の歳出拡大。そうした巨大な歳出拡大と大減税という大幅な歳入カットのパッケージは、政策論として成り立たない。

藤田 渡瀬さんから選挙運動論として減税を訴えるべきと指摘された。

足立 幹事長が政策論と運動論とを分けて考えるというなら、政調会長として黙認し、支えざるを得ない。

藤田 政策論×運動論⚪︎といった二元論で説明すると誤解を招く。実現可能性等を総合的に検討し判断した。〈フロー大減税+ベーシックインカム〉は政策論としても自信ある。

足立 政策論としての〈フロー大減税+ベーシックインカム〉を政調会長として認めるわけにはいかない。どうしても公約にするなら、政策論と運動論とを分けて、運動論として選対本部長の責任でやってくれ。

以上が、「政策論と運動論とは分けた方がいい」の趣旨です。

政策として成り立たない公約をどうしても掲げたいなら、政策責任者である政調会長としては認められないので、政策論とは別の運動論として、選対本部長が責任もってやってくれ、ということです。

私は、選挙では適当なことを言っておけばいい、と言ったのではなく、逆に、選挙で適当なことを言うことは、政調会長として認められない、と言ったのです。

「減税派」の原理主義者たちが、形式的表面的な言葉に執着し全体の文脈が見えなくなり、結果として真反対の意味に誤読してるようなので、一言、補足しておきます。

だから、上の引用ポストの先に、以下のような議論が展開されているのです。

渡瀬裕哉さんはじめ原理主義者には、こうした立体的な文脈は理解できないようですが、差し置いて、前進するしかありません。

ただ、それではあまりに寂しいし、後世の人々が間違いを重ねないよう、本来の文脈、つまり真実を、改めて書き残しておきます。

よろしくお願い申し上げます。

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(アーカイブ:2025.05.18)