自分でルールを決めたくない政治家が、その判断を皇室会議に“幅寄せ”するのは、政治の怠慢

菅野志桜里さんが、立憲民主党の提案に沿って、女性皇族が結婚した場合の夫や子どもの身分について、法律(おそらく皇室典範のこと)で決めず「皇室会議で決める」こととすべき、と一見もっともらしいことを仰っています。橋下徹さんも支持表明されています。

しかし、菅野志桜里さんの今回の論には、もっともらしく見えても、よく考えると深刻な課題があります。

例えば、立憲的改憲論。端的に言えば憲法9条に係る三要件を憲法に明記する等により憲法9条の規範性を高めるべきと仰ってたと記憶していますが、可能でもなければ適切でもありません。

今回の「皇室会議」の活用案も、皇室典範に定められている皇室会議の権能を無視した提案であって、可能でもなければ適切でもありません。

皇室会議の権能は、1)皇位継承順位の変更、2)男性皇族の結婚相手認否、3)皇族が皇族の身分を離脱することの認否、4)摂政を設置また廃止する、5)摂政順位の変更の5つに限定されており、あくまでもルールの運用を担っているのであって、本来は皇室典範に定めるべきルールを“丸投げ”してよい機関ではありません。

議論の余地があるとすれば、皇室典範において明記したルールの運用を委ねることです。本件について言えば、女性皇族が結婚後も皇室に残る場合にも配偶者や子どもは皇族としないとルールを皇室典範に明記した上で、その例外等の運用に係る認否を皇室会議に委ねることが、せいぜいではないでしょうか。

自分でルールを決めたくない政治家が、その判断を皇室会議に“幅寄せ”するのは、政治の怠慢でしかなく、私は支持できません。

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菅野志桜里
政治権力なぞと一線を画した皇室の存在が、どれだけ静かに深く、日本人と日本国の尊厳を守ってくれていることか。安定的な皇位継承を可能にする法改正は国政の最重要課題であり、女性皇族が結婚した場合の夫や子どもの身分を一方的に法律で決めず「皇室会議で決める案」は一考に値します。まず第一に、自民党案の致命傷を回避することができます。自民党案は、夫が旧宮家系一般人である場合には皇族とし、そうでなければ一般人のままとするもの。一般人のなかに「門地による差別」を作るもので憲法14条違反の指摘を免れません。また一般国民の感覚としても「なぜそこで分ける?」という不自然さがぬぐえません。一般国民が自然体で理解し納得できるということは、皇室維持のためにとても重要です。そして第二に、「家族は同じ身分」という選択肢を排除せずにすみます。本来、皇族と一般人はきちんと区別されるべきもの。そうでないと、「一般人なんだけど、妻が/お母さんが皇族だから、結局、好きな仕事につけないし、意見も言えない」という「人権を奪われた一般人」が現れてしまいます。そうした立場を外から強制すべきではなく、当事者である皇族方と家族の思いを汲むことができる皇室会議で決めることには理があります。第三に、皇室会議は皇族と三権の長で構成される会議です。皇族方の思いを汲むと同時に、国民の思い(立法)、政府の考え(行政)、憲法の規律(司法)を総合的にまとめあげることが可能です。「公」と「私」が重なる皇室の家族問題に対し、最善の解を見出すにふさわしい場ではないでしょうか。先日、平成から令和へ「慰霊の旅」を引き継がれた両陛下が硫黄島で平和の祈りを体現する姿を拝見しました。前回、来日したトランプ大統領が、両陛下と会った際にはとても品格のある振る舞いと表情だったことも思い出しました。冒頭に書きましたが、政治権力なぞを超えた皇室の存在が、どれだけ静かに深く、日本人と日本国の尊厳を守ってくれていることか。乱世とも言える時代に、こうした思いを抱く場面は今後ますます増えるはずです。だからこそ国会議員の皆さんには、一切の政治的ポジションに束縛されず、市井の国民の自然な感覚に沿って、安定的な皇位継承策をつくりあげてほしいと、心から願っています。

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(アーカイブ:2025.04.30)