菅野さんの立憲的改憲論

菅野さんの立憲的改憲論は興味深い視点を提供し続けており敬意。特に、「自分の国は自分で守る」ための9条2項改正を「真ん中の政策」として提起していることは、今の時代に必要な“ど真ん中”の政策論であり、支持したい。

他方、議論を深めないといけない最大の(古くて新しい)論点は、2項をどうするのか。2項改正を提案して具体案を言わないなら、単なるお題目にしかならない。

具体的には、削除するのかしないのか。改正するなら、どう改正するのか。

菅野さんの立憲的改憲論の主眼は「自衛権の統制を定める」ことにあるので、例えば、新三要件を憲法に明記するといったことが思いつくが、それが本当に適切なのか。

やはり、条文の関する技巧的な議論の前に、考えるべきは、いわゆる国連憲章の“平和主義”と日本国憲法の“平和主義”とは、何が同じで何が違うのか、です。

何を守り、何を変えるか、です。

こうしたそもそも論を歴史を紐解きながら、国民とともに考えていかなければ、いつまで経っても、ゴールには到達しないでしょう。

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菅野志桜里
「ガラス細工につき素人は触るな」。これが戦後80年間の憲法9条の扱いでした。でも国を守る法的基盤は、脆いガラス細工から骨太の鉄骨仕様に組み直した方がいい。具体的には、「戦争放棄を定めた1項を維持し、戦力不保持・交戦権否認を定めた2項は改正して自衛権の統制を定める」選択肢を提示すべきです。この80年間、護憲派玄人(主に左派)と改憲派玄人(主に右派)は議論のための議論を続け、素人の意見は排除され、政府は解釈改憲で現実に対応してきました。そして仕上がったのが、常識では理解できない「ガラス細工」の9条。そして広がったのは、軍事の議論の聖域化と国民の無関心です。しかし、対米依存構造が耐久年数を超え、軍事の議論にもはや無関心ではいられず、日本国民は健全な素人感覚でその変化を感じとっています。「自分の国は自分で守る」ための議論を国民に問いかければ、さらに関心は高まります。そのトリガーとして、憲法9条の議論は避けて通れません。軍事と9条は「右の政策」ではなく、国と国民を守る「真ん中の政策」。リベラルの観点からも、安全保障の議論を玄人の聖域から解放してこそ、国民の人権と主権が守られるのではないですか。時代も意識も大きく変わり始めた今、いよいよ日本の本格的な自律が試されます。

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(アーカイブ:2025.05.03)