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米山隆一さんにも、こういう議論をしていただきたいものです。
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こたつぬこ 日本国憲法のアイデンティティは歴史的には「反ファシズム」である。アジア諸国を侵略し破壊のかぎりをつくした日本の軍国主義は、社会主義者、自由主義者そして保守主義者も連帯した国際的な反ファシズム闘争に反撃され、打倒された。日本の軍国主義の復活を許さないこと、アジアへの侵略と破壊をふたたび繰り返さないこと、この約束を明文化したのが日本国憲法の前文と九条である。 日本国憲法については「アメリカによる押し付けか否か」という論争はあるが、戦前日本の近代史のなかで日本国憲法に果実する要素がなくはなかったとはいえ、第二次世界大戦の敗北と国連憲章の制定、アメリカによる占領という条件がなければこんな憲法が制定される条件はなかった。つまり「押し付け」ではあるわけだが、とはいえ占領軍たるアメリカがこの憲法を押し付けた背景には、当時の国際的な反ファシズム運動があったことを見逃してはならない。つまり日本国憲法は単なるアメリカ一国の押し付けではなく、戦後世界を形成していく国際的な潮流に規定されているということだ。そして敗北を受け入れ、ふたたび戦争の惨禍を繰り返すのではなく、平和で豊かな日本をつくりたいと願った日本国民の精神にマッチしたからこそ、憲法は定着したわけである。 日本国憲法は他国の憲法と同じように立憲主義という制度的機能を果たしている。だが憲法を制定した力とアイデンティティは、内発的なものではなく国際社会から外的に与えられたという事実を踏まえる必要がある。高度成長期にたたかわれた60年安保闘争は、この外的に与えられた憲法を国民的に受け止めるための闘争だったといえるだろう。 そしてわれわれはいま、この日本国憲法の歴史的アイデンティティの崩壊に直面している。国連憲章とそれを制度的に担う国連は大きく弱体化し、この国連憲章の精神の一端を担っていたアメリカ帝国は一国主義に回帰しようとしているからだ。歴史的アイデンティティが崩れ去るなかで、日本国憲法の支えが失われつつある現実を、護憲派も改憲派も直視しなければならない。 ただ、支えを失いつつあるからこそ、日本憲法は「国民の主体性」という古く新しい支えをいま必要としているのではないだろうか。アメリカに対して陰謀論的反米主義でもなく、思考停止な従属でもなく、国民的主体性の確立という立場から日本国憲法をふたたび据えることが、これからのアメリカをはじめ国際社会と向き合う上で重要になる。 改憲から護憲までさまざまな意見がある。だが日本共産党をはじめ戦後革新勢力はある時期までは改憲派だった。それが護憲に転じるのは、社会党と同じく社会主義と階級闘争が後景に退いたからだ(つまり護憲とは革新勢力が社会主義を事実上放棄し、戦後民主主義の全面肯定に転回したことによって生まれた)。このように革新が護憲というのは最近創られた神話に過ぎない。もちろん護憲は日本政治において大切な役割を果たしてきた。だが「護憲」を支えたアメリカと国連憲章が崩れた今、護憲は終わったのである。他方で従米保守の改憲論も、アメリカという支えを失った今、終わったのである。 護憲と改憲が共に終わった今こそ、日本国憲法の歴史を再考しなければならない地点にわれわれはいる。 目下の世界情勢において、憲法の三原則である国民主権、平和主義、基本的人権の価値観が揺らいでいるという認識は立場を超えて一致するのではないだろうか。そしてこの価値観が揺らぐのは日本の危機であり、この基本的価値を守るという認識で一致できるならば、護憲改憲の立場を超えて日本国憲法についての認識を改めなければならないのではないだろうか。アジアのなかでこの三原則を掲げる憲法を持つことの意味を考えること、それが出発点になるだろう。
※ X(旧Twitter)投稿を転載
(アーカイブ:2025.03.12)